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社会活動

【シンポジウム】地域がささえる食と農 神戸大会

場所と実施日

神戸学院大学ポートアイランドキャンパス(兵庫県神戸市)

  • 2月18・19日(木・金) オーガニックツアー
  • 2月20日(土) 第5回 農こそ!コミュニティー
  • 2月21日(日) 産消提携国際シンポジウム 4th URGENCI International symposium
  • 2月22日(月) URGENCI総会



20日農こそ!コミュニティー 一日の総括をする全国有機農業団体協議会副代表の尾崎零氏



21日産消提携国際シンポジウム まとめセッション
(左から)司会:村山勝茂/URGENCI 蔦谷栄一/農林中央金庫 サミュエル・ティロン氏/前URGENCI代表 クリスティン・グレヂング氏/英国土壌協会 槌田劭氏/使い捨て時代を考える会 魚住道郎氏/日本有機農業研究会


参加人数

センター社長+社員3名


【内容報告】キーワードは「提携」

 【日本の有機農業運動の歩み】
 2010年2月18日から22日にかけて行われた大会のうち、20日(土)と21日(日)の2日間出席しました。大会には約800名の出席があり、海外からは15カ国50名ほどの出席者で盛大に催されました。
 20日(土)最初の講演は保田茂氏(神戸大学名誉教授)による「有機農業運動の歩みと到達点」と題して講演されました。1968年に深刻な公害事件が裁判になり、水俣病、イタイイタイ病が公害病に認定され、PCB中毒事件が発生、四日市喘息の拡大等から、食品汚染の最大の被害者は胎児であることを学び、母乳からの残留農薬検出は乳児の体力から見て限界とのコメントが、当時出されたと言うことです。このような歩みの中から1971年に日本有機農業研究会が発足いたしましたが、丁度その年はコウノトリが絶滅した年であったと言われていました。保田先生は日本有機農業研究会創立の中心となられた一楽照雄氏と親交が深く、当時の出来事の中から一楽氏が「母乳から農薬が出るような農業は農業ではない」「農産物を汚すような農業を進める農協は農協ではない」「そのような農産物を売るような生協は生協ではない」と言われていたようです。(正確に表現しているかわかりませんが、このような感じに受け取れました)その頃、慈光会の梁瀬義亮先生を通じて(社)全国愛農会に有機農業の考え方が入りました。梁瀬先生は日本有機農業研究会の設立とその後の会の理念に大きな影響を与えられた方です。


【地域での有機農業運動の広がり】
 1973年、東京で「安全な食べ物を作って食べる会」、山形県では「高畠町有機農業研究会」、兵庫県では「兵庫県有機農業研究会」と市島町有機農業研究会が設立。
 1974年、神戸市で「食品公害を追放し安全な食べ物を求める会」、京都府では「使い捨て時代を考える会」、枚方市では「食品公害と健康を考える会」が設立。さらに、この年有吉佐和子氏の小説「複合汚染」が朝日新聞に連載され、翌1975年に「ノアの箱舟会」が誕生となりました。


【提携の基本的な考え方は】
 食べ物を商品としないということです。命は人間には作れない、種子を作ることは出来ない。食は命であり、命は売買する物ではない。と言う考え方です。価格については商業資本の管理の下で形成される物ではなく、贈与経済の中の贈与に対するお礼として支払われるもので、市場経済を通さないから商品ではないと言う論理です。
 神戸の「求める会」の提携の4原則は、提携にとって重要なもので、ノアの箱舟会の綱領にも私なりにアレンジさせていただいて採用されたものです。2日間に亘り述べ14時間近くの講演と報告を、限られたスペースでまとめるのは私の能力では到底無理な話で、大会の最後に実行委員長の橋本慎司氏が閉会の挨拶で述べられたことの一部を紹介させていただきます。
 『だいぶ昔の話になりますが大型台風が市島町を襲った時、近所のT氏の鶏舎が強風にあおられて潰されました。その当時はケージ飼であったため、ケージの下に積もっている鶏糞の山にケージが倒れ、その上に屋根が倒れ、鶏は糞まみれになりました。そこへ野犬が襲撃し鶏を食いちぎって、鶏の死骸で悲惨なものとなりました。そのことを(橋本さんが)消費者の会員様に伝えたところ、神戸市内から何台も車を連ねて消費者の方が来られ、今まで触ったことも無かったであろう鶏を助け出し、綺麗にしていかれたそうです。約半数は助かったと言うことです。それから数年後1995年阪神淡路大震災が起きました。その時、Tさんや橋本さん達生産者の皆さんは水とおにぎり、食料品などを持って、被害にあわれた消費者の会員様のところを訪ね、中にはお亡くなりになられた方もある中、無事であった方とは手を握り合って励ましあい、長期にわたって救援活動を続けられたと言うことです。(橋本さんは)「生産者も消費者を助けることが出来るのだ」と感じた』ということでした。劇的な災害を通しての提携の一例ではありましたが、提携は作る物と食べる物との命の提携です。私もこの運動に携わって35年になります。改めて提携の重要さを思いました。


(センター・槇本)


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