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6月上旬のある週末、東京で、NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事の河田昌東氏の話を伺う機会がありました。事故から25年たった今も苦しみの中にあるチェルノブイリの人々を支援してきた経験から、問題の本質は内部被爆だということを氏は何度も繰り返されました。
日本政府は、福島県の汚染地域に住む人々の年間被爆線量基準を20mSv (ミリシーベルト/この単位の意味は、ウイークリー062号11ページ)としました。そして、マスコミに登場する専門家も100mSv以下ならがんや白血病の心配はないと繰り返しています。しかし、20mSvは、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告する基準範囲1mSv‐20mSvの最上限値であって、ICRPは出来る限り1mSvに近づけるのが望ましいと勧告しています。また、チェルノブイリでは事故後最も増えたのは、がんではなく、心臓病や脳血管疾患、糖尿病のような内分泌病や免疫力低下による感染症であったという事実があります。
ウクライナ政府は内部被爆こそが長く続く本当の闘いと認識し、事故から11年たった1997年に、放射性セシウムの基準を飲料水1kg当たり2ベクレル、野菜は40ベクレルに変更したと言います。これと比較すれば、日本政府が事故後急きょ決めた暫定基準は、放射性セシウムで、飲料が200ベクレル、野菜や肉・魚が500ベクレルです。「暫定」とはいえ、大きな違いがあります。氏は、日本の基準は、広島・長崎の被爆者調査に基づく外部被爆偏重の甘い基準であると断じました。チェルノブイリで今も続いている放射能との闘いを知るとき、日本に住むわれわれを待ち受けている放射能との闘いは、これから末永く続くのだということが、容易に想像できます。
内部被爆の鍵は食べ物です。私達の命そのものとも言うべき食べ物です。チェルノブイリの例では、ウクライナの都市部に住む人たちは様々な産地の野菜を手に入れることが出来ますが、チェルノブイリ周辺の人達は地元の食材しか手に入らないため、内部被爆のリスクがより高まる状況になりました。福島県は日本有数の農業県で地産地消が進んでいるため、同じことが起こっていると言います。福島県では地元産の野菜があふれる中、子どもたちに真に安全な野菜を供給することが難しくなっています。また、(基準の甘い)暫定基準をクリアした被災地の野菜は、福島県内にとどまらず出荷されていきます。福島や東京では産地をあえて表示しない野菜が出現しました。被災した生産者を支えるという善意の広がりを思うとき、放射能と共存する闘いというのが如何に難しいものであるかを思い知らされます。
同じ週末、名古屋から上京されていた母乳調査・母子支援ネットワーク(http://bonyuutyousa.net/)の村上さんという方とお話が出来ました。
現在、国際的にも、母乳の放射能汚染とそれによる乳児の健康被害の実態は、調査も研究も全くされておらず、基準を設けている国も無いそうです。先に紹介したICRPが2007年、母乳調査の開始を勧告したのをうけ、今年1月日本の放射線審議会がそれに向けての審議を開始しました。そのような中で、今回の原発事故が発生しました。同ネットワークでは、6月2日までに81名のお母さんの母乳を検査しましたが、そのうち15名の方から放射性セシウム・よう素が検出されたと報告しています。事故から25年たったチェルノブイリでは、今も大地が汚染され、子供たちにセシウムの体内蓄積があり、母乳からも検出があるといいます。(放射性セシウム137の半減期は30年)
センターは、安全が確認されない限り福島や関東のものは仕入れないという姿勢を続けています。しかし、福島県の丹野さんの長いもの例のように生産者を支えるというもう一つのセンターの使命を考えるとき、常に難しい判断を迫られます。これからは放射能と共存するしかない私達一人一人のながい闘いは、今始まったばかりです。そのなかで、センターがどのように皆さんの闘いを支えていくのか、私たちセンターの闘いも始まったばかりです。
(センター・山下)